2017年11月03日

議院内閣制を語る資格

第何次だかの安倍内閣発足の首相の会見をみた。内容は、相変わらず印象に残らない。官僚的(というより官僚が作ったに違いない)言語明瞭意味不明な原稿に、威勢の良いキャッチフレーズを挟み込むだけだから、キャッチフレーズしか頭に残らない。むしろ、憲法改正でも日銀総裁の人事でも野党の質問時間の制限でも何でもできるんだけれどもな、ボク・・という優越感が滲むように感じられるところが気持ち悪かった。
それにつけても、だ。どうしてこれほどまでに自民党が強いのか。総選挙の投票先の調査結果では、若年層ほど自民党への投票割合が大きいという結果も出ている。実際、宇野重規さんは『保守主義とは何か』(中公新書)の中で、チャーチルの「20歳の時にリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳の時に保守主義者でないなら、思慮が足りない。」という言葉が、現在は当てはまらないと指摘している。ここ何年か、リベラルという立場が特別な立場のように使われることに違和感を持つこともしばしばだ。しかし、リベラルって、急激な社会変革を求めず、現状の民主主義や自由主義の理念の実現を目指すっていう、ごくフツーの考えじゃなかったかしらん?。学校の社会科で、民主主義や自由主義、憲法の優位性という言葉なんか学ばないのかな。折も折、今日は文化の日、つまり、憲法公布の日だ。これに関連して朝日新聞に載っていた赤坂真理さんの「立憲主義が本当にあるなら、それが書かれていないことが日本国憲法の大きな不備かもしれません。」との談話には、ショックを受けた。どうも、日本国憲法には立憲主義が書かれていない、というのが赤坂さんの考え方らしい。しかし憲法は97条で「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と述べているではないか。赤坂さんは64年生まれだから、私とそんなに年齢は違わない。それでも、最高法規性に思い当たらないほど憲法と縁遠い生活をして来られたのかしらん。
 憲法に関連するさしあたっての問題は、自民党の議員達による、野党の質問時間を制限しようとする動きだ。野党8、与党2で配分した質問時間を、議会での議席数を考慮して配分し直そうというものらしい。多数派の質問時間を時間的に優遇する制度は地方議会で用いられてはいる。しかし、これを国会に持ち込むのは誤りだ。そもそも地方自治体の議員と首長は別の選挙で選ばれるから、議会の多数派と首長支持者が一致しないこともある。というより、議会と首長が緊張関係を持つことが期待されている。こうした緊張関係を前提とすれば、首長の追及を議会の多数派がより時間をかけてやれるようにすることには意味はある(それでも、多くの自治体では首長が議会の多数派の神輿にのっているから、そういう自治体の議会での多数派による質問は、時間の無駄と思えるものが多い。)。 一方、国会は議員内閣制をとっている。自治体と異なり、行政のトップである首相は議会の多数派から選出されるから、首相は常に議会の多数派の神輿にのっていることになる。だからこそ、議会と行政府である内閣との緊張関係を持たせるために、議会での少数派に多くの質問時間を認め、政策を慎重にチェックさせているのだ。
 議会の多数派が行政府を作る議員内閣制では、多数派の暴走をどう防いで少数派の権利を守っていくかが常に課題となる。少数派に質問時間を多く認めるのは、議員内閣制を支えるカナメなのだ。議席数をもとに質問時間を配分するという発想は、多数の横暴以外の何物でもない。そんな議員に議院内閣制を語る資格はない。(2017.11.3  新海 聡)
posted by OFFICEシンカイ at 17:44| Comment(0) | 社会問題

2017年09月09日

大会、終わりました


私が事務局長をつとめる全国市民オンブズマン連絡会議の全国大会が、先週末の9月2日、3日、和歌山で行われた。今年のメインテーマは情報公開。森友問題や加計問題、自衛隊日誌の問題など、あるべき文書が「ない」とされた最近の事件を受けてのものだ。テーマに即して、47都道府県と20の政令市、48の中核市、それに14の省庁に対して、電子情報をどのように扱っているかのアンケート調査を行い(これ大変なのです)その結果を発表した。情報公開、というと、オンブズマンの活動の中でも、政務活動費の問題などと比較して、ムズカシイ、と思われがちだ。その分、大会テーマとしては地味で、知る人ぞ知る調査、となってしまうことが危惧されたが、9月3日にNH>が7時の全国ニュースで、毎日新聞も9月7日の朝刊で報道してくれた。
さて、アンケートでは、電子情報を情報公開の対象とするかどうかは、文書の中身などを見た上で判断する、という回答が圧倒的多数を占めた。さらに、14省庁の回答となると、かなりモンダイだ。情報公開法が、組織として用いる文書は情報公開の対象とする、と定めているにもかかわらず、役所の共有サーバーに保管した文書であっても、情報公開の対象とするかどうかについては、その都度判断する、というのだ。だって、共有サーバーに文書を保管するっていうのは、組織として使うからでしょ。加計学園問題では、役所の共有サーバーに保存していた「官邸の意向」などと書かれた文書も、情報公開の対象の行政文書とならない、と当初官房長官は説明したが、そうしたことが政府の文書では常に起こり得ることを示すのだ。
この結果を見る限り、国でも、自治体でも、公開したくない情報は、情報公開の対象ではない、として不存在(ありません)と回答することが、かなり頻繁に行なわれている気がする。我々も、ありません、と言われたら、それで納得するのではなく、本当にないのか、周辺の文書や会議などの録音などを情報公開請求して、「不存在」理由での逃げ得を許さないようにすべきだ
日本に情報公開を根付かせるには、まだまだ時間が必要である。

なお、この調査をふくむ全国大会での市民オンブズマンの発表資料は(全国オンブズマンのウェブサイト)から見ることができます。

新海 聡
posted by OFFICEシンカイ at 14:58| Comment(0) | 情報公開

2017年08月07日

とんでもない政府への対処法

 内閣改造の翌日の会見で首相は「謙虚に丁寧に」国民に説明する、と述べた。この言葉は「謙虚さや丁寧さの内容は首相である私が決める」という理屈を前提としているとみて、間違いはないだろう。案の定、首相の贔屓筋の稲田は、10日にも開かれるという閉会中審査に応じようとしていない。
 首相の言葉が信用できない、ということから思い出したのは、井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の一節だ。ボローニャ市の地区評議員会の委員の一人が井上さんに対し、「中央政府というやつはとかく信用がならん。だからこそ、自分の住んでいるところが、自分の街がしっかりと自立しなくてはならんのだよ。」と言った、というエピソードが紹介されている。井上さんがボローニャを訪問した2003年暮れは、ベルルスコーニが首相の座にあり、イタリア中で貧富の格差が広がった時期だ。そうしてみると、先月、仙台市長選で自公推薦候補を野党統一候補が破ったことなどは、日本でも自分の街のことから考えることが、とんでもない政府への対処法として有効ではないか、と思える。
 内閣支持率が落ちてきたのに、受け皿がない−ごもっとも。だが、ここはひとつ、誰かかっこいい政治家が彗星のように現れ、受け皿になってくれることを期待するのではなく、地元の首長選挙や議会選挙でもー選挙がなければ、政務活動費のチェックでもいいから、政権の閉鎖体質すら批判しない政治家に一泡吹かせる運動をしたらどうか。支持利率目線の軽佻浮薄な首相には、かなり効くのではないだろうか。
(2017.8.7 新海 聡)
posted by OFFICEシンカイ at 15:19| Comment(0) | 社会問題