10連休前半は天気も悪かったので、買っただけで積んでいた本を読んで過ごした。連日、平成の回顧のような番組ばかりでウンザリしていたものの、過去の一定の時期と今を対比することも有益かな、と、そういうテーマの本を選んだ。その中で、森達也さんの『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(講談社文庫)と、高村薫さんの『作家的覚書』(岩波新書)は強く印象に残った。森さんは95年のオウムのテロをきっかけとして社会が変わりはじめ、排他主義とレイシズムが跋扈した、と指摘する。高村さんは「これはどういう時代だろうか」「なにかがおかしい」と感じ、言葉に出して向かい合うことの必要性を説く。高村さんは2000年前後にそうした思いを感じたとし、例として2011年の米国のイラク侵攻にいち早く賛同を表明した小泉首相の奇妙な記者会見を挙げ、2011年の原発事故や東日本大震災について私たちは向かい合っていない、という。
さて、私が弁護士になったのは1990年の4月だから、いずれも、弁護士として考えたり、仕事に影響したりしてきた出来事だ。そして、私も、小泉純一郎の「どこが戦闘地域なんて私にわかるはずないでしょう。」という無責任な国会答弁がまかり通った時に、政治の変質を感じた。これ以降、平気で首相も嘘をつくようになったし、今や国会議員の発言なんて、「撤回します」で終わりだ。「テロ対策」「安心安全」というだけで、国や行政の行為のほとんどが許されてしまうのも、95年のオウム事件以前には見られなかったように思う。そして、安心安全の名の下に、私たちの社会は寛容さを失ったように思える。
こうした不寛容な社会と政治的な無関心の行く先が心配だ。オリンピックの邪魔になると判断される事柄が国家によって今後次々と制約されるだろう。そして、南海トラフ地震のような、今まで経験したことのない出来事が起こったとき、個人の尊厳原理や表現の自由といった人権の堤防が決壊するように思えてならない。
「最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は抗議の声を上げなかった。
なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。
次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は抗議の声を上げなかった、
なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したときも、私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私は労働組合員ではなかったから。
やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れていったとき、やはり私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。
そして彼らが私の目の前に来たとき、
私のために抗議の声を上げる者は、誰一人として残っていなかった。」
森さんが先の著書で意訳を掲載したマルティン・ニーメラーの詩だ(前掲書69頁〜70頁)。ニーメラーはルター派の牧師で、当初ヒトラーを支持していたが、ナチスによる教会の迫害に抗議して、最終的に強制収容所に送られた、という人物だそう。このことは、少数派への密かな攻撃から、自由は侵害されることを如実に語っている。
前と違うじゃないか、と感じることが、人権の堤防を守るためには必要な時代なのだ。