2019年12月27日

むずかしいことをやさしく















この1年。明るいニュースもいろいろあったに違いないが、どうも閉塞感ばかりを感じてしまう年の暮れである。ことしは「桜を見る会」だ。都合の悪い記録をサッサと捨てたあとにテキトーな言い訳と形ばかりの謝罪で幕引きをはかる首相の対応は、昨年のモリカケを経て、驚くものではなくなった。だが、それにしても、だ。ここまで民主主義の制度やツールを無視する思考はどこから来るのか。選挙制度と選挙結果で政治を行うことだけを民主主義政治と考え、選挙以外の場所で示される民意は民主主義の本質とは考えないーだから情報公開をしなくても、命取りにはならないだろうーということか。ここには、民主主義制度を維持するための様々な英知を切り捨て、目に見える選挙結果だけにフォーカスする思考の単純化が見て取れる。それは、物事に対する一元的なものの見方だ。しかし、思考方法の一元性は、立場の違う者への共感の停止、多様性への無理解や無関心を産み出すから、さらに問題だ。こういう権力者の単純な思考方法は首相だけでない。例えば、名古屋市長の表現の自由に対する発言にも見て取れる。



 こうした単純な思考パターンを政治家が持つことは危険だ。頭の中で物事を単純化している(あるいは単純化した思考しかできない)から、その言説は時に「わかりやすい」と市民に思わせる。「わかりやすさ」に市民が引きつけられ、その政治家を支持することにつながる。これによってますます物事の見方が単純化され、選挙以外の民主主義の制度は壊死し、表現は権力者の気に入るものだけに淘汰されることにつながるからだ。しかし、民主主義は価値の多元性を基礎においている。だから、民主主義を守れという側は、物事が単純化されていくことに対して、「わかりやすく」しかし時には複雑なことがらを説明しないといけないことになる。



 井上ひさしさんの有名な言葉で「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書く」というのがある。私は井上ひさしさんの熱烈なファンではないけれど、学生時代に「吉里吉里人」を読んだとき、国家や通貨制度について初めて考えた。「コメの話」を読んだとき、コメ輸入の問題点をより深く知ることができた。晩年の「ボローニャ紀行」は地方自治のとらえ方について、目からウロコだった。井上さんの言葉は、どの作品にも生きている。井上さんの足下にも及ばないけれど、弁護士の仕事の中でも、市民オンブズマンの活動をするときも、井上さんのように考え、表現することが理想となった。



 来年は、より閉塞感に満ちた時代となるかもしれない。だからこそ、特に「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」考えていきたいと思います。

 そしてもう一つ。来年は、当事務所に新たにメンバーを迎えます。今後とも宜しくお願いします。                                       (了)

                           (2019.12.27 新海聡)



posted by OFFICEシンカイ at 17:06| Comment(0) | 情報公開
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