なんという1週間!。15日は共謀罪の参議院での採決強行。同じ日に、加計学園の文書について、内閣府が文科省と矛盾する説明。ところが、予定通り国会は閉会(加計学園が採決を強行した理由だな)。閉会後の19日の記者会見で、加計学園について説明が二転三転したことを首相が謝罪し、今後は国民に対して説明責任を果たすと言った途端の当日夜、加計学園について首相の関与を示す新たな文書が報道される。じゃあ説明は、というと、これについて答える必要はない、だと。批判に応えること、応えられなければ辞めることは、民主主義国家での政治家の義務だ。軽さを隠そうともしない政権は危険だ。
首相をはじめとする政権の横暴は、国民の支持率を意識してのことだ。下落したと言っても4割もの支持が集まる理由として、街頭インタビューでよく「他に任せられる政党がないから」という回答がある。気持ちはわかる。だが、「任せる」ってどういうことだろか。「選ぶ」ということと「任せる」ということは違う。交代のない権力は絶対に腐敗する。軽さを隠そうとしないのも「えこひいき」も長期政権の腐敗の典型だ。選挙による民主主義の本質は、「任せること」ではなく「交代」だ。
19日の首相の会見はDV男の妻や恋人に対する謝罪に見えた。しかし、選挙での選択は配偶者選びよりもはるかに簡単だ。選挙のたびごとに相手を変えればいいのだからね。
(2017.6.22 新海 聡)
2017年06月22日
「任せる」と「交代」
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2017年06月11日
加計問題調査が示すもの
加計問題で示された「総理のご意向」文書を再調査することを、文科大臣が明らかにした。しかしこれは、非常識な説明に終始した政権が、国民の不満を解消するための「ガス抜き」となる可能性が極めて高い。朝日新聞の取材に対して「単なるガス抜きではダメだ」と述べた談話が9日付の朝刊に掲載されたが、調査の結果として「存在はしたが、作成者は不明。内容も事実に反するため、国民の間の不当な混乱を避けるために公開できない。」だの「獣医学部開設は手続き中であり、公開によって意思決定の中立性が害される。」だのといった理由で、文書の内容が公開されないことも十分に予想される。このような判断がなされたら、我々は、取消訴訟で争うことを考えないといけない。
加計問題をはじめとして、森友学園や共謀罪の国会審議を通して共通するのは、政権の事実軽視の姿勢だ。バレるまでは都合の悪い事実はなかったものとする、できるだけ具体的な説明をしない、回答できない質問に対しては、質問者を批判してはぐらかす、など。首相が、2012年の東京オリンピックの誘致演説で、東京電力福島第一発電所の放射能汚染水が完全のコントロールされている、とのフェイクを世界に発信したことを、私たちは忘れてはならない。
(2017.6.11 新海聡)
加計問題をはじめとして、森友学園や共謀罪の国会審議を通して共通するのは、政権の事実軽視の姿勢だ。バレるまでは都合の悪い事実はなかったものとする、できるだけ具体的な説明をしない、回答できない質問に対しては、質問者を批判してはぐらかす、など。首相が、2012年の東京オリンピックの誘致演説で、東京電力福島第一発電所の放射能汚染水が完全のコントロールされている、とのフェイクを世界に発信したことを、私たちは忘れてはならない。
(2017.6.11 新海聡)
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