2019年05月29日

前とちがうじゃないか!















10連休前半は天気も悪かったので、買っただけで積んでいた本を読んで過ごした。連日、平成の回顧のような番組ばかりでウンザリしていたものの、過去の一定の時期と今を対比することも有益かな、と、そういうテーマの本を選んだ。その中で、森達也さんの『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(講談社文庫)と、高村薫さんの『作家的覚書』(岩波新書)は強く印象に残った。森さんは95年のオウムのテロをきっかけとして社会が変わりはじめ、排他主義とレイシズムが跋扈した、と指摘する。高村さんは「これはどういう時代だろうか」「なにかがおかしい」と感じ、言葉に出して向かい合うことの必要性を説く。高村さんは2000年前後にそうした思いを感じたとし、例として2011年の米国のイラク侵攻にいち早く賛同を表明した小泉首相の奇妙な記者会見を挙げ、2011年の原発事故や東日本大震災について私たちは向かい合っていない、という。

 さて、私が弁護士になったのは1990年の4月だから、いずれも、弁護士として考えたり、仕事に影響したりしてきた出来事だ。そして、私も、小泉純一郎の「どこが戦闘地域なんて私にわかるはずないでしょう。」という無責任な国会答弁がまかり通った時に、政治の変質を感じた。これ以降、平気で首相も嘘をつくようになったし、今や国会議員の発言なんて、「撤回します」で終わりだ。「テロ対策」「安心安全」というだけで、国や行政の行為のほとんどが許されてしまうのも、95年のオウム事件以前には見られなかったように思う。そして、安心安全の名の下に、私たちの社会は寛容さを失ったように思える。

こうした不寛容な社会と政治的な無関心の行く先が心配だ。オリンピックの邪魔になると判断される事柄が国家によって今後次々と制約されるだろう。そして、南海トラフ地震のような、今まで経験したことのない出来事が起こったとき、個人の尊厳原理や表現の自由といった人権の堤防が決壊するように思えてならない。

「最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は抗議の声を上げなかった。

なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。

次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は抗議の声を上げなかった、

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したときも、私は抗議の声をあげなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れていったとき、やはり私は抗議の声をあげなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私の目の前に来たとき、

私のために抗議の声を上げる者は、誰一人として残っていなかった。」

森さんが先の著書で意訳を掲載したマルティン・ニーメラーの詩だ(前掲書69頁〜70頁)。ニーメラーはルター派の牧師で、当初ヒトラーを支持していたが、ナチスによる教会の迫害に抗議して、最終的に強制収容所に送られた、という人物だそう。このことは、少数派への密かな攻撃から、自由は侵害されることを如実に語っている。

前と違うじゃないか、と感じることが、人権の堤防を守るためには必要な時代なのだ。



(2019.5.29 新海聡)
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2019年04月27日

政務活動費をどうしたら良いか(2)















今年の統一地方選は盛り上がりに欠けた、と思ったのは私だけかな。世の中、「令和令和」と浮かれている間に選挙が終わってしまった気がする。「年号ブーム」については、昨日(4月26日)の朝日新聞の朝刊で、大澤真幸さんが、日本社会が内向きになったことの現れだ、と述べていたことは興味深い。投票率の低さや無投票選挙区の問題とあわせ、社会が内向きになると、世の中を変えようとするエネルギーも喪失するのだな、と思った次第。

 さて、政務活動費の話の続編だ。実は政務活動費の制度の見直しについては、出版社の要請を受け、2017年初頭に「議員NAVI」という、議員を対象としたウエブマガジンに論評を書いた。支出項目と領収証の存在だけをチェックし、実際に議員活動に政務活動費をどう役立てたかを問わない現状の制度を、議員活動の「見える化」を実現する制度に変えようというものだ。それはこうだ。まず、年度初めに、議員や会派は、政務活動費で当該年度に予定する調査研究のテーマとそれに必要な費用を積算した資料を付して、政務活動費の交付申請書を議会に提出する。議会はこれをインターネットで公開し、市民の意見の募集をする。いっぽう、自治体はあらかじめ市民と有識者からなる第三者委員会を選任しておく。そして、交付申請書記載の調査内容や費用について、この第三者委員会はインターネットに寄せられた市民の意見も参考に、議員や会派の代表者と質疑応答をおこない、交付申請の承認(または一部承認)をする。その後、承認内容に適合する調査研究活動を議員や会派はおこない、年度末に調査研究の実施報告などの資料とともに領収証を提出する。最後に、第三者委員会による事前の承認内容に適合した支出についてのみ、政務活動費が交付される―というものだ。

 こうした制度は、調査研究のテーマを持たない議員については、政務活動費がもらえないばかりか、その年度の活動をアピールする機会もない、ということになる。しかし、調査研究をしたい議員にとっては、政務活動費を交付されるだけでなく、自己の活動を予告する機会にもなりうる。市民にとっても、この議員が議員として何をしたいのか、そのテーマに向けてどのような調査をするのかを知る機会だ。任期中のこうした記録は、市民が投票する場合の資料として重要なものとなる。

 ところが、その後、今回の統一地方選までに間に、こうした事前の申請にもとづく政務活動費の承認制度を採用した議会は現れていない。今のままでは、自治体の出納閉鎖後の今年の6月頃には再び政務活動費の問題となる支出が明らかになることは、ほぼ間違いないだろう。実はそうした不祥事を通して、議員活動の「見える化」に政務活動費を役立てようとする意識が生まれることを期待したいのだが。



(2019.4.27 新海聡)
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2019年03月21日

政務活動費をどうしたら良いか(1)















議員の政務活動費の支出に関する住民訴訟で、当該議員の政務活動費を用いた海外視察への支出が違法だ、という判決をとることができた。私的な観光旅行にすぎない、という判断だ。この裁判だけでなく、政務活動費の支出の違法を理由とする住民訴訟は、全国の裁判所で起こされている。住民訴訟の一つのパターンと言って良い。

 しかし、だ。号泣議員の会見が2014年7月、富山市議の相次ぐ不正支出が明るみになったのが2016年。市民オンブズマンが支出の透明性を問題にしたのが2002年、ついでに私が政務調査費の住民訴訟をはじめて提起したのが2005年。なんと、個人的には17年も政務活動費の問題に関与してきたことになる。しかも、違法支出のパターンはこの間ほとんど変わっていない。不正支出が発覚する度、「もらえるものはできるだけもらっておかな損だ」という議員の意識が透けて見える。それに対して、たくさん税金を使っていながら、ぱっとした仕事をしていないじゃないか、という議員や議会に対する市民の不信に火がつく。その連鎖が住民訴訟を生んでいる。今や、政務活動費問題は市民の議会に対する不信のアイコンだ。

 さて、統一地方選がはじまった。議員の選挙の課題として、政務活動費制度の検証を挙げるマスコミから取材をうける機会が多い。富山市議問題の前後あたりから、領収証のネット公開だけでなく、領収証を議会事務局がチェックして政務活動費の後払いをする制度を採り入れる議会も登場してきた。こうした取り組みに対する評価と改善点についての意見を求められるのだ。これに対して、違法支出対策としては評価できるものの、政務活動費問題の本質的な解決にはならないのではないか、と回答している。それはなぜか。こうした後ろ向きの対策では、市民の議会不信は解消されないからだ。じゃあ、どうするか。これについては次回で。



(2019.3.21)
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