2017年06月11日

加計問題調査が示すもの

加計問題で示された「総理のご意向」文書を再調査することを、文科大臣が明らかにした。しかしこれは、非常識な説明に終始した政権が、国民の不満を解消するための「ガス抜き」となる可能性が極めて高い。朝日新聞の取材に対して「単なるガス抜きではダメだ」と述べた談話が9日付の朝刊に掲載されたが、調査の結果として「存在はしたが、作成者は不明。内容も事実に反するため、国民の間の不当な混乱を避けるために公開できない。」だの「獣医学部開設は手続き中であり、公開によって意思決定の中立性が害される。」だのといった理由で、文書の内容が公開されないことも十分に予想される。このような判断がなされたら、我々は、取消訴訟で争うことを考えないといけない。

 加計問題をはじめとして、森友学園や共謀罪の国会審議を通して共通するのは、政権の事実軽視の姿勢だ。バレるまでは都合の悪い事実はなかったものとする、できるだけ具体的な説明をしない、回答できない質問に対しては、質問者を批判してはぐらかす、など。首相が、2012年の東京オリンピックの誘致演説で、東京電力福島第一発電所の放射能汚染水が完全のコントロールされている、とのフェイクを世界に発信したことを、私たちは忘れてはならない。
(2017.6.11  新海聡)

posted by OFFICEシンカイ at 17:39| Comment(0) | 社会問題

2017年06月02日

情報公開とビートルズ

 50年前の今日、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発売された(らしい)。先週、私も50周年記念盤の「サージェント〜」のを買ってしまったが、いったい、「サージェント〜」を買わされるのはこれで何回めだったかな・・。去年は去年で、来日50周年ということで、テレビも相当に盛り上がったし。
 ところで、その51年前。ビートルズの羽田到着から武道館でのコンサート、ホテルの様子、羽田からの離日までの様子を、警視庁が16ミリのフィルムで撮影し、現在もフィルムを保有している、という事実をご存知だろうか。
この映像の存在が知れるようになったのは最近のことで、その一部は昨年公開されたビートルズの記録映画「エイトデイズアウィーク」に用いられている。だが、一部ではなく、全部が見たい。そうした気持ちで、私たちは警視庁にフィルムの情報公開請求をした。これに対して警視庁は、フィルムに映った当時のファンの顔は個人情報だ、として、ファンの顔の写っている部分を非公開としてきた。しかしいったい、50年前のファンの顔は今も「個人情報」としてモザイクにする必要があるのだろうか。わが国も含めて、ビートルズに熱狂するファンの顔をモザイクにした映像など、これまで見たことがない。
 この非公開処分については、東京地方裁判所に取り消し訴訟を提起した。その経過については、また、ご報告したいが、ここでの問題は、本当に個人情報として保護する必要があるか、という点だ。とりわけ最近、公開することの都合が悪いと行政が判断した情報が、個人情報を理由として非公開とされているように思えてならない。本当に保護すべき個人情報であれば、非公開とされるべきである。しかし、この処分を含めて、情報の非公開の理由に「個人情報」を持ち出すことで、非公開に対する非難をかわし、世論を味方につけようとする行政の底意が見て取れることもしばしばだ。そもそも真剣に「個人情報保護」を考えているのであれば、1秒間に10万件もの顔の照合が可能と言われる、警察の監視カメラの画像データや捜査に用いた捜査といった、プライバシーを侵害する捜査についての法規制をきちんとすべきだ。ところが、捜査機関による個人情報の取得や管理については、法の規制は不十分のままだ。
 ということで、ビートルズ来日フィルムの情報公開訴訟は、「個人情報」と情報公開を問う重要な裁判なのです。

(2017.6.2  新海聡)
posted by OFFICEシンカイ at 18:06| Comment(0) | ビートルズ訴訟

2017年05月23日

歴史に学ぶということ
















 ベルリンのブランデンブルク門の近くにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」の入り口の碑文に、It
happened, therefore it can happen again: this is the core of what we have 
to say.(一度起きたことは、もう一度起こりうる。)という言葉が記載されている。アウシュビッツを生き残ったイタリア人化学者・作家のプリーモ・レーヴィさんの言葉だ。2005年にここを訪れた時、私たちだったら、二度と起こさないようにしよう、という言葉で結んでしまうだろうな、と思った。「もう一度起こりうる」と述べることで、過去を風化させない強い意思をこの言葉は示している。この言葉を碑文に記すことで、歴史に学ぼうとするドイツの本気さに胸を突かれた。

 さて、共謀罪である。濫用によって戦前の治安維持法のように運用されるのではないか、という国会での質問に対して、「濫用はありません。」と言い切る大臣。ここには歴史に学ぼうとする意思も、過去を風化させない、という意欲も、皆無だ。森友学園の問題にしても、加計学園の問題にしても、政権に都合の悪い文書はありません、との答弁ばかり。政治的な立場はどうであれ、過去に学ぼうとしない権力者の判断が正しかったことはない。国会答弁から見える我が国の民主主義の貧困さは、深刻だ。
posted by OFFICEシンカイ at 10:32| Comment(0) | 日記