2017年08月07日

とんでもない政府への対処法

 内閣改造の翌日の会見で首相は「謙虚に丁寧に」国民に説明する、と述べた。この言葉は「謙虚さや丁寧さの内容は首相である私が決める」という理屈を前提としているとみて、間違いはないだろう。案の定、首相の贔屓筋の稲田は、10日にも開かれるという閉会中審査に応じようとしていない。
 首相の言葉が信用できない、ということから思い出したのは、井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の一節だ。ボローニャ市の地区評議員会の委員の一人が井上さんに対し、「中央政府というやつはとかく信用がならん。だからこそ、自分の住んでいるところが、自分の街がしっかりと自立しなくてはならんのだよ。」と言った、というエピソードが紹介されている。井上さんがボローニャを訪問した2003年暮れは、ベルルスコーニが首相の座にあり、イタリア中で貧富の格差が広がった時期だ。そうしてみると、先月、仙台市長選で自公推薦候補を野党統一候補が破ったことなどは、日本でも自分の街のことから考えることが、とんでもない政府への対処法として有効ではないか、と思える。
 内閣支持率が落ちてきたのに、受け皿がない−ごもっとも。だが、ここはひとつ、誰かかっこいい政治家が彗星のように現れ、受け皿になってくれることを期待するのではなく、地元の首長選挙や議会選挙でもー選挙がなければ、政務活動費のチェックでもいいから、政権の閉鎖体質すら批判しない政治家に一泡吹かせる運動をしたらどうか。支持利率目線の軽佻浮薄な首相には、かなり効くのではないだろうか。
(2017.8.7 新海 聡)
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2017年07月22日

稲田って誰だ?

稲田って誰だ?

 お騒がせの稲田防衛大臣が、今度は、南スーダンでのPKO日報の隠蔽に関与していたか、どうかが話題になっている。大臣の関与は、防衛監察本部が調査をするようだが、防衛監察本部の調査などというものは、そもそも当の稲田が指示したものだから、その調査結果は、政権の、稲田という大臣の賞味期限に対する判断を示した結果となるだろう。真相が明らかになることは、期待できない。
 稲田に注目が集まっているが、南スーダンの日報問題の深刻さは、防衛省が情報公開請求に対して、「破棄して保有していない」ことを理由として、不開示決定をしたことにある。そもそも「破棄」は最強の不開示事由だ。本来は開示すべき文書であっても、物理的に存在しなければ、裁判所は開示を命ずることはできないからだ。こうして、開示したくない文書は、破棄したことにしてしまえば良い、という発想が権力者の中で育っていく。
 したがって、日報問題については、情報公開法5条各号の不開示事由ではなく、「破棄」を選択して不開示とした、防衛省の情報の隠蔽体質こそ、大いに批判されなければならないのだ。これに、自己の名でこの不開示決定をした稲田防衛大臣が、実質的に決定に全く関与していないという、(当たり前のように語られている)事実を加えてみると、東京の政府に情報を隠蔽しながら関東軍が暴走して始まった日中戦争当時から、自衛隊の体質は変わっていないことがハッキリする。
 稲田の問題は、自衛隊に対する文民統制の意思も能力もない政治家を防衛大臣に任命したことだ。むしろ、稲田にばかり目を奪われて、自衛隊の情報の隠蔽体質への監視が疎かになることこそ、内閣改造で安倍政権が目指すところではないだろうか。
(2017.7.22  新海 聡)
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2017年07月12日

共謀罪のある世界

共謀罪のある世界

 昨日7月11日から共謀罪が施行された。しかし、共謀罪の適用については、弁護士から見ても、わからないことだらけだ。簡単に言えば、共謀罪とは、複数人が一定の重要な犯罪(といっても277もある)の計画を立て、さらに計画をした者の「いずれか」によって準備行為(これ自体は犯罪ではない)が行われれば犯罪とする、というものだ。ところが、この「準備行為」というのがわからない。国会で、「ビールと弁当は花見」「地図と双眼鏡を持っていたら犯行現場の下見」というバカバカしい答弁が行われた、アレだ。しかも、法成立後も、何が準備行為にあたるかについての疑問には政府ははっきりした回答をしていない。
 ここで、ABCDの4人の人間が行きつけのスーパーでの盗みを計画した場合を想定してみたい。政府の説明では、計画だけでは共謀罪は成立しないから、この計画段階では、ABCDの誰も犯罪にはならない。ところがその後、Cがそのスーパーに買い物に行った場合はどうか。Cの行為は準備行為になるのか。また、Cが買い物に行ったことなど知らないABDにも共謀罪は成立するのか。捜査機関の取り調べに対してCが、「下見」を兼ねていたと自白した場合には、ABDについても、計画者の「いずれか」が準備行為を行った場合として共謀罪が成立するのか。こうした疑問があるだけでなく、ここで既に、Cについては自白の強要が、ABDについては、自分でコントロールできない他人(C)の、しかも違法でない行動で罪に問われる危険が発生していることは重要だ。
 それだけでない。共謀罪で無罪となるかどうか、という以前に、共謀罪の疑いが生じた段階で、ABCDのスマホやパソコンがまず、押収される。当然、指紋もとられる。下見ではない、と言ってCが20日間の取り調べに耐えたとしても、その時点でABCDのプライバシーは捜査機関に筒抜けだ。では、令状発布の段階で裁判官がプライバシー侵害をチェックできるだろうか。令状を発布するかどうかの歯止めとなるのは、簡単に言えば、「○○罪」が成立したことを「疑う理由」を、捜査機関が示しているか、という判断だ。ところが、共謀罪が成立した今となっては、その「罪」自体が限りなくユルい。「計画」が犯罪の一部となるのだから。
 そもそも「計画」をしたことを「疑う理由」って誰にでもあるではないか。私たちは何を考えようと自由だからだ。しかも、捜査機関の要求がほぼ通ってしまう今の令状発布の実態からすれば、共謀罪のある世の中で、令状によるプライバシー侵害のチェックを期待するのは困難だ。こうなると、むやみなことは話さないが花、となってしまう。
 共謀罪が監視社会を作る、ということは、共謀罪の適用を想定すれば、明らかだ。そして、最大の問題は、首相も閣僚も賛成した国会議員自身も、共謀罪について理解しないまま、共謀罪を強行採決によって成立させてしまったことだ。法の危険性を知らないということは、法を適用される側の痛みがわからないということだからだ。
 仲良しをエコヒイキをする一方で、自分に反対する市民を「こんな人たち」と白昼堂々指差す権力者(とその一派)が、共謀罪という、市民に向けた武器を持つに至った深刻さを、私たちは自覚すべきだ。
(2017.7.12 新海聡)
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